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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信  98.2- 月刊ニューメディア
第25話  2001年2月号
■差し違えはマネできまい

 さて、もう落ちついた頃だろうから申し上げる。カッパの行進の映像は、これからも目を背けず何度もオンエアすべきだ。シドニー五輪の入場式のことだ。みな忘れたがっているのかも知れないが、反省はきちんとせよ。ボストンの自宅にてNBCの画面で虹色カッパの行進を目にしたとたん、アチャーやっちゃったよーニッポン、ってアメリカのご家庭に申し訳なく存じました次第。
 だがそれよりも問題なのはテレビだ。独占放映権に7億ドルもかけたせいで、NBCは全部プライムタイムでCM料かせぐため、録画しかオンエアしない。インターネット中継ができないように仕組まれたとはいえ、本番とオンエアの間に半日もあれば結果はネットでわかるから、オンエア時には興味半減。
 片やカナダのCBCは放映権に2000万ドルしかかけてないらしく、だから敵はインターネットとばかり、全部ライブ中継したらしい。カナダの人たちは夜中のライブ中継で盛り上がっていたらしい。アメリカでもNYあたりのスポーツバーではカナダの電波を取ってきてライブ見せたりしていたそうだ。
 著作権で囲い込んで稼ぐというテレビ的なシステムがぶざまな姿をさらした。アトランタ五輪は、アトランタに本拠地を置くCNNやIBMマルチメディア部隊がデジタルメディアの祭典として誘致したものだが、4年たったシドニーは、テレビとインターネットの間の揺れがやっと露呈したと言えよう。アトランタでは優に20%を超えていた視聴率が、今回は13%台だったという。時差のせいばかりではない。インターネットを侮ったテレビの惨敗である。恐らく今後のオリンピックはインターネットを軸にメディア展開を考えざるを得まい。
 だいいちテレビの見せ方もヘタだぞ。これはオーストラリアの局のせいなのかも知れないが、流れている映像が何の試合で誰がどういう状況で闘っているのか、そういう情報の緻密さに欠けていて、むきだしの画面が転がっているというシーンが多い。まあそういう配慮は日本のテレビは抜群にうまいから、教えてあげた方がいいね。
 ただあれだけメダル取れば楽しいわな。アメリカは金だけで39個だから、毎日2〜3個って計算で、今日の金メダルなんてコーナーが成り立つ。ダントツ世界一だしね。オリンピックのメダル数ってのは、国力のバロメータになる。経済力、文化、人口、食糧事情、政治力、というもろもろを総合した国力。たとえば今回の金銀銅のメダル上位10か国は、米露中豪独仏伊キューバ韓英。地元豪州、気合いのキューバ・韓国を除けばG8と中国だもん。日本は15位。胸に手を当ててみれば、せいぜいそんなとこか。
 国旗や国歌をかけて闘うというのは、オリンピックやサッカー・ワールドカップやボクシングのタイトルマッチぐらいしかない。国家が存在することを確認できる数少ない場なのだ。物流や電子ネットで国境がなくなり、産業はボーダレスとなり、通貨さえ統合され、仮にいずれ国際紛争も減少すれば、他に何が残る?
 衛星やCATVを世界に広げたのはボクシングだ。74年、ザイールのキンシャサで行われたモハメッド・アリ対ジョージ・フォアマン戦をHBOが中継してから、映像システムは網の目に広がっていった。ローマ五輪とメキシコ五輪の金メダリストの闘い。その途中の東京五輪の王者ジョー・フレイジャーとの三つどもえでボクシング界とテレビ界は互いを刺激しあって伸びた。ボクシングが色あせた今、インターネットのキラーコンテンツは何になるんだろう。
 オリンピックの視聴率が振るわなかったのは、アメリカの体操陣の成績不振もあるらしい。他であんなにメダル取りまくってるんだから、もっと見てやりゃいいじゃないかという気がするが、盛り上がりには欠けていた。日本が金とるたびに大騒ぎしているのと比較するとアメリカは傲慢である。
 それにしても体操とかシンクロとか、そういうエンタテイメント系が好きだねアメリカ人は。私はああいう種目って競技というよりコンクールだと思うので、体操系スキの人とよく言い争いになる。陸上や水泳や自転車みたいに速かったり強かったり高かったりすればいい系と違って、試合を見た後スグ結果がわからず採点を待つ系というのはどうも納得がいかない。
 近代五種のように、銃を撃ち、剣で闘い、馬で駆け、泳いで、走る、なんて戦争さながらの競技にはスポーツとしての必然を感じるんだが、アート系にはそれもない。それならまだ大食い選手権の方が競技性や必然性を覚える。
 同じことは柔道にも言える。アメリカでは全くマイナーで、チラリとも映さなかったし、新聞でも報道されていなかったが、篠原選手に対するミスジャッジは日本の新聞社のサイトで知った。あれは審判という他人に競技結果を委ねてしまっていることからくる誤謬だろう。
 選手と観客とは別の誰か権威のある人、偉い人、に身を任せる競技というのは構造的な欠陥を帯びていて、いつまでもいっぱしのスポーツになれない。なんてことを言うから、体操系スキの人と言い争うハメになるのだが、念のため申し添えると、私は体操を見るのは大好きで、ただそれはエンタテイメントとして好きなのであって、スポーツとしては欠陥がある、と言ってまたもめる。
 だから最近は、誰か権威ある人に採点してもらわないと結果がわからないようなもの、プレイヤーと市場で勝敗が決まらないようなものは、インターネット的ではない、と言うことにしている。それでも収まらないときは、自分が選挙で選んだ訳でもない官僚の決めたことに従えるか!と怒鳴るとだいたい収まるようになってきたが、それはそれで元官僚としては何となく後味が悪い。
 欧米の人は審判の言うことに従う。大リーグでも、選手どうしの乱闘は茶飯事だが、どんなにミスジャッジでも審判に暴行を加えたりするようなことはない。腹つきだして文句言う程度だ。「神」の下で暮らしているから、絶対的なものにやすやすと従えるのだろう。私が審査員の採点制に対して素直な気持ちになれないのは、単に不信心だからかもしれない。
 日本のプロ野球は凄いね。審判に殴る蹴るの暴行を加えるもんね。だいいち、殴る蹴るの暴行、という言葉は、阪神の島野・柴田コーチが満座で見せた暴行事件で生まれたんじゃないだろうか。どなたか、殴る蹴るの暴行の専門家がおられたらお教え下さい。
 その点、大相撲の軍配差し違えというシステムは大変な制度だと思う。神事でありながら、行司の下した判断に対し、土俵下から文句つけて、協議して結果をくつがえしたりする。行司はハラキリのための刀を懐にしている。なんて分散タイプで、公正なんでしょう。高度な統治システムではありませんか。欧米には真似できないんじゃなかろうか。
 それにしても高橋尚子である。この金一個で今回のオリンピックはよしとしなければなるまい。だが私はこの模様を結局みることができなかった。アメリカでも翌朝に録画中継されるのは知っていたのだが、そのとき用事で飛行機に乗らなければならなかったからだ。
 ライブは土曜の夕方だ。日本は日曜の朝に当たる。ボストンにはライブ中継しているスポーツバーが見当たらない。ゲリラ的にインターネット中継しているサイトも見当たらない。仕方がない。そこで日本の新聞社のサイトにアクセスすると、文字でライブ中継をしてくれていた。5分おき程度に、マラソンの状況を伝えてくれていたのだ。
 てんまやの山口が転んだのにグイグイ走ってるというので涙が出てきたり、先頭二人に市橋がついていくというので特攻精神に涙が出てきたり、日本の女性はなぜこんなに根性があるんだろう、大人の男は世界のビジネスでやりこめられ、子供の男は切れて事件ばかり起こして、男でごめんね、そんな中、ニッポン女性は世界を引っ張っておる。
 だから日本の親戚に電話をかけて、受話器をテレビの前に置いてもらうよう頼んだ。日本のテレビの実況中継が伝わってきた。回線のせいか、音がとぎれとぎれになる。でも高橋選手が後続に差をつけゴールに飛び込むシーンは、きれぎれの音声だけでも鮮やかに想像することができた。ひょっとすると、テレビ映像をみることなく、音声だけだったから、よけいに興奮したのかもしれない。
 気がつけば私は電話口でガンバレーって怒鳴っていたのだが、ボストンから電話回線で日本に伝わった私の声はテレビ受像機からテレビ局、そして衛星を通ってシドニーに届いたはずである。きっと。
 それにしても私は、36年の民族の祭典、ベルリンオリンピック、前畑がんばれがんばれ前畑を鉱石ラジオでむさぼり聞いた方々と同じことをやっていたんだな。その前畑さんは本番前に、金を捕れなければ身を投げることを決意していたという。根性がすわっている。頂点はそうやって闘い取るものだと思う。
 そういう人たちばかりが集まる場面で金メダルを穫る、そんな偉業をなしとげた人には、もう一生あそんで暮らせるおカネをあげていい。誰というわけではないが、世界と闘うこともなく、あやしげな商売で左うちわの人、ゴマンといるが、それよりよっぽど値打ちがあるじゃないですか。世界で闘う姿勢、大切ですよね。
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