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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信  98.2- 月刊ニューメディア
第19話  2000年8月号
■中華街があるじゃないか

 キリントンという山奥の村であります。バーモント州です。バーモントといえばリンゴとハチミツでしょうか。関係ないでしょうか。いずれにしろ季節はずれの客にとまどった宿のばあさんであります。泊まり客は私だけなのです。宿のばあさんといっても、そこに住むただの主婦であります。これがニイさんなら女装して襲ってくるかもしれないとサイコな想像も致しますが雨どころかピーカンです。
 ローカルなら電話はタダだというのでほほうと思ったのです。しかし考えてみればローカルの電話は定額料金だから、ばあさんが使ってる電話に私が入り込んだところで、タダでしかるべきであります。じゃー電話ローカル一回1ドルとか取ってる普通のホテルは一体どういう了見だ、と公憤を抱く私です。
 いいえ問題は料金ではありません。インターネットにつながるかどうかです。隣村のアクセスポイントにつなげばいいので、外線にさえコネクトできれば問題はない。イタリアあたりだと笑ってしまうようなコネクタの形状だったりしますが、そこは山奥といえどアメリカ、カベの穴にはぷつっと差し込める。
 ところがなかなか簡単ではないのです。部屋の電話線から宿の外にデータ信号を出せない仕組みだったのです。でも、このばあさんがやたらインテリで、というかやたら強引で、物理的に銅線をえっちらおっちらひっぱって、部屋と屋外のポイントを直接つなげてしまい、ほうらつながった。アメリカの底力をみる。
 ネットのコミュニティにさえ入ってしまえば私はどこにいても問題はないのです。山奥にいようが離れ小島にいようが、大学関係者からみれば私はまた東京で作業していて、東京の関係者からみれば私はまたアメリカで仕事している正常な状態なのです。逆にオフィスにいようが研究室にいようが、インターネットへのアクセス不能状態が1日も続けば、そのあいだ私がどんなに深い思考をしていかに良い着想をしたとしても、ろくでなし状態なのです。
 
 ここにたどりついたのは、カナダ東部からの戻り道なのです。モントリオールからケベックあたりを回ってきたんです。クルマで。ボストンから2000キロぐらいですかね。数日かけてですから、たいしたことはありません、パリに住んでいたころ、フィレンツエからパリまで一日でとか、ミュンヘンからパリまで一日でとか、パリからドイツ横断チェコまで一日でとか、まあヨーロッパの地図ちょっとみて下さい、150キロ平均10時間の距離だから行けるね、みたいな感じで動いていたので、それは今から思えばムチャというかバカげた貧乏性ですが、いずれにせよ今回のはたいしたことはないのです、と思ったんですが、歳のせいかキツイ、そこでバーモントで一泊なのであります。
 カナダからアメリカへの国境を越えたとたん、ふと違和感を覚えました。道路の距離表示がメートル表示からマイル表示になったからです。うむやはり私にはメートル表示の方が生理に合う。どうしてアメリカ人はヤードとかマイルとかポンドとか華氏とかあんな変な単位つかってるのでしょう、どう考えてもあのややこしい計算が彼らに適しているとは思えないのですが。
 カナダのその辺りには興味があったんです。フランス語を公用語にしているという文化に。仏英文化が同居しているというのがどういう風情なのかということに。果たしてモントリオールの街並みには、フランス語圏にEU官僚が英語で仕事をしているブラッセルあたりの雰囲気にとても近い空気を感じました。
 でもケベックはもっと欧州大陸の色が濃い感じがしましたね。面白いもんですね、観察していると、話す言葉や表示される文字だけではなくて、人のしぐさ、表情といったものまでフランスっぽいんですね。町のニオイまでフランスっぽく感じる。経済面でアメリカとの一体化が進んでいくとしても、表情やニオイがアメリカと一体になることは半永久的にないでしょう。
 
 すばらしい、モントリオールには中華街があるじゃないか、ということでワンタンを頂いた私です。おいしゅうございました。中華街があるというのは国際都市であることの定義であります。ニューヨーク、サンフランシスコ、ボストン、パリ、ロンドン、アントワープ、横浜、そう、実ビジネスといいますか、トランザクションがあるところに、中華街はできるのです。
 シリコンバレーに台湾の起業家が集まっていますが、これは号砲です。インターネットの上ではしっかりしたトランザクションが起こりはじめました。中国の商人たちが世界中から参加してくるでしょう。サイバー空間に中華街がたくさんできていくことでしょう。それも急速に。中華街ができないような空間は、まだ商業地として本物じゃないという証拠なのです。ネットに流れる漢字の割合は増えていくでしょうね。
 あ、漢字で思い出しました。アメリカって、字が多い。契約書はむろん、新聞にしろウェブのコンテンツにしろ会議資料にしろ、アルファベットの分量が多いと思うんです、必要以上に。日本なら一発の絵で終えるところをグジグジと文字つかって説明するし、パンパンと箇条書きで行けそうなところも、何が何してこうなってとリニアに書きつぶすし。
 冗談も説明過多で面白くないことが多いし、それでも彼ら大笑いしているのが不思議ですが、言い終わったら「冗談ですが」と念を押されることも多いし、「冗談はさておき」なんて言わないと冗談だとわからないような冗談を言わされるぐらいならわたしゃ切腹する方がましですが、結局ちゃんと説明し尽くさないとコミュニケーションが取れない社会なのかなあアメリカは。だからパソコンみたいにキッチリ指図しないとダメなふがいない機械でも大きい顔できるんでしょう。
 イギリスは違いますよね、論理すっとばして悩殺する破壊的なギャグをかましますよね、モンティパイソンみたいに。だから英語の問題じゃないんでしょうね。多様な社会構造を一つのコミュニティに成立させるために自然に育まれた文化なんでしょうね。だとすると形でみせる漢字文化はアメリカ人は苦手かもしれないなあ。苦労するだろうなあ彼らこれから。
 テレビCMもアメリカは、安い、とか、速い、とか、大きい、とか、小さい、とか、おいしい、とか、主張するタイプが今も主流ですね。わかりやすいんですが、その商品を宣伝するならそりゃ安かったり速かったりするのは当たり前だろうというのが多くて。私にとっては日本の方が表情が多彩でノリがよくておもしろい。
 近所に住む台湾人が台湾のCATVでやってる日本チャンネルのビデオを貸してくれたんです。TVチャンピオン、なんでも鑑定団、吉本新喜劇、仮装大賞・・・中国語の字幕つきで見るのもオツなもんです。しかしそれ以上に、台湾のローカルCMが感動的でした。化粧品やオムツやお菓子の宣伝のノリが同じなんですよね日本と。感性レベルは血の濃さがモノを言うんでしょうか。
 さて、知らぬ土地でまず礼儀としてすべきことは、いちばん高い所に昇ること。モントリオールならオリンピックのドーム。ああコマネチと加藤沢男は同時代だったか。次に地酒。その大地と水の結晶に敬意を払う。そして地テレ。地元のテレビ番組を見ることです。その土地ならではの映像表現と編集を見せていただくのです。
 カナダはアメリカのテレビを見ようとしてCATVが発達した、と習いました。むかし。CATV政策を担当していたころ。亡くなった電通の松平さんという師匠に。でも地テレもたいしたもんですよ松平さん。イタリアの海賊テレビとまでは行かないけれど、けっこういかがわしくてばかばかしいラテンなライブやってましたよ。
 そうそう、アメリカのテレビで、お腹の大きい女性のキャスターをたまにみかけます。お天気番組などで。運動不足で胴回りが少し広めなのかなと思っていると日に日に大きくなり、まごうかたなき妊婦。肥満を隠すために妊娠したのか?どう計算してももう臨月じゃないか。オンエア中に産気づきゃせんかと気になって私ぢっと観てしまうんですが、これは敵の作戦でせうか。
 ただ、堂々とそういう具合に人前に出てくる、人前に出す、それは西洋にいると当たり前に思うのですが、日本だと隠れる、隠す、んじゃないでしょうか。多様な人、モノ、価値、文化が互いにうけいれられ、同居する精神がアメリカを成立させているのですな。
 私のいるラボも、人種も出身も年齢もバラバラなことは言うに及ばず、それもあえてそうしようと戦略的に組み立てているところがあるし、赤ん坊だいた女学生が弁当くいながら授業きいたりしているし、イヌつれてくる人も多いし、うち数匹はラボに住んでいるに等しい、それに慣れてしまえば日本がとたんに窮屈に見えます。
 私の隣部屋にいる女性の教授はオウムに言葉を教える専門家で、その部屋に飼われているオウムは天才で、足し算もできる、私はその女性教授のどこがすごいのかよく知らないが有名な人らしい、オウム教の教祖というと語弊があるのでアーチャリーと心の中で呼んでいる、実はそのオウムが教授だったんだと言われれば納得する、だが人の部屋に入ってきてエサのアーモンドをボロボロこぼしていくのはよせよオウム君、この間ちょっと失敬したんだが、お前のアーモンドは味が何もついてなくてまずいな、さてはアメリカ人だなお前。
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