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中村伊知哉のボストン一夜漬け通信  98.2- 月刊ニューメディア
第三話  99年2月号
■キッズ・リターン

 よく寝た。20時間も寝た。子供みたいに。昨日までの一週間(98年11月15日〜21日)、ジュニアサミット98というイベントがあり、そのアレンジで徹夜続きだったんです。役所にいたころはシャブも打たずに数日ぶっ通しで走り回るなんてことは慣れっこでしたが、久しぶりの「お役所仕事」で、カンが鈍ってました。
 ジュニアサミットというのは、世界中のティーンエイジャーが平和や産業や技術などのテーマで大人たちに提言するというものです。139か国8000名の応募から1000グループが選出されて、オンラインで議論をしたあと、100名の代表が互選され、MITに集結したんです。日本からは同志社国際高校の土居明子さんが代表となり、別所慶子さんと田辺真由美さんがレポーターとして参加されました。
 一週間にわたるMITでの議論は、事務局側の予定をキッズたちがどんどん変更し、テーマの選定、提言の内容などを自分たちで決定していきました。その結果、子供によるネットワーク上の国家を作り国連に代表を送ろう(既にプロジェクトとして動き始めた)とか、子供だけの銀行を作ろう(税制上の特典をつけて大人の寄付を募るそうだ)とか、地球上の全ての子供が使えるような安くてムダのないコンピュータを設計しよう(ドリームキャストを改造してウェブとメールとワープロのみのモノを作れという具体的な設計をつきつけられた)などの堂々たるプレゼンが行われました。過激なようでいて、光ファイバーを全家庭にとかいう計画より現実的で有益かも知れない。こいつらには勝てんわ。
 このジュニアサミット98は第二回目に当たります。一回目は95年11月、東京でした。そのとき私はNTTの再編成や規制緩和にいそしんでいて参加できなかったのですが、そもそもの起こりは、その年の2月、ベルギーのブラッセルで開かれた情報通信G7の場です。当時、世界的なマルチメディアブームのさなか、アメリカからGIIが提唱され、先進国はみな、インターネットがひょっとすると通信の世界を塗り替えるかもしれないという期待と恐怖の渦に巻き込まれていました。熱い、とても熱い冬でした。
 G7には、アメリカのゴア副大統領、EUのサンテール委員長、日本の橋本通産大臣・大出郵政大臣らが参加したほか、産業界のリーダーも集い、インフラをどう作るのか、知的所有権をどうするのか、といったことが話し合われました。ところが、日本から参加していたCSK・セガの大川功会長は、この議論に不足を感じ、発言しました。「これからの情報社会を切り拓き、生き抜くのは子供たちである。子供たちの声を聞け。」
 パリに勤務していた私もその場に応援でかけつけていたのですが、この発言はショックでした。ええこと言うわ。先進国の役人どもが事前にあーだこーだ議論してきたあれこれは、この一言の前にぜんぶ陳腐化したって感じ。いや私だけじゃありません。そーだそーだという声があがって、それが一晩でジュニアサミットを東京で開こうという動きに発展し、翌日には急遽、記者発表までしたんです。
 そして郵政省や産業界の協力のもと、第一回ジュニアサミットは、教育やネットワークの未来について活発な討論が行われて成功を収め、二回目はMITメディアラボがホストを引き受けたわけです。まさか3年後に自分がそこにいるとは思いませんでした。
 今回のサミットの目玉は、「大川センター」の発表でした。これは、ジュニアサミットの精神である「子供とメディア」の未来について、数年に一度のイベントだけでなく、恒久的な研究機関を設けようという構想です。大川氏がMITに2700万ドル、30億円を個人として寄付したんです。個人がアメリカに寄付したものとしては最大級だと思います。
 大川センターは、メディアラボの隣に2003年にオープンします。ネットワークによって教育や学習を子供と共同作業しながら改革していくことや、映像メディアが子供に与える影響を研究していくことなど、子供とメディアに関するあらゆる領域をカバーしていく計画です。この分野の有能な研究者を世界から募り、あるいはネットワークで連携して、地球上の子供たちと一緒になって研究していくことになります。
 このセンターの設置は、大人の使命だと私は思っています。サイバー社会を開拓していくのも、新しい表現を開発していくのも、いずれも子供です。ネットワーク社会は子供が引っ張り、大人がその果実をおすそわけしていただくことになります。そこでの大人の役割は、十分なネットワーク空間を子供に与えて、子供たちが自ら学ぶ環境を与えることです。そのための研究機関を作ろうということです。
 また、日本としてもこの分野には重要な使命があります。ゲームやアニメに代表される表現様式が、世界の子供にどういう影響を与えるのか。子供たちはこれからのインタラクティブ映像社会にどう立ち向かえばいいのか。その基礎研究を進め、成果を世界に役立ててもらうということです。
 もちろんこれはアメリカにとっても重要な仕事であり、日本の個人からの寄付は感謝に堪えないはずです。だからゴア副大統領からも賛辞が寄せられたんですが、残念なことにイラク情勢緊迫のあおりで、このサミットへの出席が見送られたんですよね。子供たちは欠席にブーブー言ってましたけどね。ネグロポンテさんは、アメリカの代表は二人だけだから副大統領の票にもあまり響かないだろうって冗談言ってましたけど、ネットワークで連帯したキッズを敵に回すと怖いよ。
 ただ、ネットワークと教育について人一倍熱心なゴア副大統領は、98年10月のITU(国際電気通信連合)の場でも教育のネットワークを作ることを提唱しています。ええこと言うわ。日本でもどこでもまだ情報ハイウェイをどう作ろうかという議論が中心なのに、アメリカはとっくにそれをどう「使う」かという議論に移ってるんですよね。
 同時に彼は、デモクラシーと表現の自由が重要だなんてことも言ってます。当たり前みたいに聞こえますが、本質です。そんな議論、日本じゃはやらない。アメリカというのは、そういう本質論をやっていないと国がもたないんですね。
 10月21日、アメリカでは、児童のオンライン上の個人情報を保護するための法案とともに、未成年に有害な情報に児童がアクセスすることを阻止するための「児童オンライン保護法」が成立しました。子供は社会(法)が守るのか、親が守るのか、自分で守るのか。表現の自由はどこまで制限できるのか、あるいはこれは表現の自由を守るための措置なのか。いろんな問題があります。そういう問題を社会全体で解きほぐしていないと、成立しない社会なんですね。
 日本はどうかと言うと、放送の番組に対する政府の直接規制がほとんどゼロの国です。こんな国、私はほかに知りません。テレビ番組でヤラセ事件などが起こると、郵政省が事実調査に乗り出して、すると表現の自由がどうとかいう議論になりますが、別に罰則があるわけでもなく、そんなの日本だけだと思いますよ。
 言ってみれば、世間に任せておけば、世間がうまく解決するから、公規制が乗り出さなくてもいい国だってことです。コンテントに関する規制がなくてもやっていける国というのは、世界に誇れる社会であって、そういう自由度は21世紀のウリになると私は思ってます。
 といいますか、実態は、そこに規制を敷こうとしても、日本の役人はそんなパワーを持っていないから、難しいんです。日本の役人は弱い。そんなことない、官吏は強い、って思うでしょ?でも、世界の役人、世界の政府を比較すると、日本の政府というのは、力がなくて、大きな政策転換ができないんです。でっかい規制緩和ができないのもそのせいです。役人というのは、何十年も続いたしがらみを打破するほどの自由裁量を与えられていないんです。健全です。日本の官僚として、各国の政府を眺めてきた私の感想です。
 ではなぜお役人が強いように見えるかと言うと、それは、本来そういう役割を果たすべき政治のリーダーシップがもっと弱いからです。だから国内で比較すると、お上=議会じゃなくて、お上=官僚ということになるんです。
 ゴアさんは、アメリカの国家元首=大統領に次ぐナンバー2です。日本で言えば、天皇陛下に次いで国家を代表する首相に位置します。その人は、インターネットと教育のことばかり言ってます。教育のためのネットワークを何としても整備すべきだ、なんてことを言った日本の首相っていましたか?
 日本の官僚制度を一度ぶったたくのは必要ですけど、そういう強いシステムを壊すだけで、本来もっと強めるべき政治のシステムが弱いままだと、国ぜんたいが弱くなるだけです。たぶん、そうこうしているうちに、世界のデジタル・キッズが連帯して、国なんてものは、連中に、鼻毛をふっと吹くように、やっつけられちゃいますよ。
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