<<return


わからん、それが問題だ  96.11-98.10 マックパワー(連載終了)
第十七話  この衝撃を文字に転換することはできません   98年3月号
○一段落したので、大阪での講演の話を受けた。7:52発のぞみ5号で新大阪まで2時間半。何をやっても許されるので、人生の熟達者だけが住むことを許される町、貴賎両様の国際都市、パリに対抗できる唯一の街に、8年ぶりにやって来た。「大阪は燃えているか」というマンガを川崎ゆきおが描いたと記憶する、大阪は今も燃えているだろうか。
○講演後、動けるのは半日しかない。ピカピカに改装された大阪城に隣接する会場から、一人になって、真っ昼間だというのに飲み屋とエロとゲーセン・パチンコでギンギンの「阪急東通り商店街」へ、七色の空気を吸って、「曽根崎お初天神通り」を駆け抜ける。
 
○通天閣に昇る。ああ通天閣。おお新世界。阪本順治監督「ビリケン」が、焦げつくほどの愛で描いた新世界の通天閣。かつて日立モートルや日立キドカラーと大書されていたタワーの側面は、「日立ハイビジョンテレビ」になっており苦笑、それから「ジャンジャン横丁」へ、素人には近寄り難かった土俗の地帯は、世俗化し、さびしくなっていた、「AV女優」「ザ・風俗」を著した永沢光雄さんからインタビューを受けた際、二人とも学生のころジャンジャン横丁のライブハウスで無為に夜を過ごしていたことがわかり爆笑したが、その小屋は見当たらなかった。
 路地に寝ているオッサンが少ない。寒いからか? いや、ハイビジョンと血塗られた通天閣に関係があるのだろう。機能が追求され、近代化は完成に向かい、それは同時にいろんなものを排除する、そして清潔になっていく、しかし、このオッサンが一人もいなくなったらこの町は死ぬ、オレたちは果たして豊かさに向かっているのだろうか。
○難波から一気に動く。「大阪球場」跡地から、「虹のまち」を通り、「黒門市場」へ、マーケットかくあるべし、でんきのまち「日本橋」、にっぽんばしと読む、むかし文化勲章を陳列していた古物商をのぞいてから、大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」を訪問、ライブラリーにて、六代目「笑福亭松鶴」、「若井はんじ・けんじ」、「平和ラッパ・日佐丸」、「浮世亭三吾・十吾」、「大木こだま・ひかり」の映像と音声、それから向かいの吉本興業総本山「なんばグランド花月」にて、「ちゃらん・ぽらん」(うまくなった! 思いがけず面白い)、「コメディNo.1」(うまくなった! 思いがけず面白い)、演芸はライブが命。
 道頓堀の「かに道楽」本店のカニや「くいだおれ」人形は元気だが、「えび道楽」や「千日堂」本店が消えており、無常。仕方ない、法善寺をお参りして、さあメシや。「なんば551蓬莱」のぶたまん。「づぼらや」のふぐばってら。「たこ梅」のさえずり(鯨の舌)、おばちゃんごぶさた。「北極」のアイスキャンデー。うヒャヒャぜいたく極まれり。さあ夜や、いくど。
○光通信を研究している方々の会合、箱根に行った。こちらは30分の基調講演を済ませトンボ帰りなので切ないが、切り立った山あいの濃い緑に、冬の柔らかい陽ざしを受けて、深い朱色の柿が映えている、気が静まる、それで十分だ。
 メディアは科学者の奇跡的な発明がニーズと産業を産む歴史であった。ニーズが技術を産んできたのではない。ネットワークによる共働の21世紀には、少し様相が変わるかもしれないが、しばらくはこの傾向が続くはずだ。皆さん、奇跡を続けて下さい。
○インターネットの大イベント「IPミーティング'97」でパネラーを頼む、という吉村伸さんからのメールを受け、のこのこ横浜みなとみらい21に向かう。インターネットは技術から実態の時期に移った。きらめく夢は厳しい現実の段階に入った。だからみな真剣だ。オーディエンスは若く、こちらの発言に前傾姿勢で強い視線を向ける。不用意な発言はパンチを浴びそうだ。
以前、豊丸さんから聞いた、「関東の客は大人しく醒めているが、関西の客は前のめりでむさぼるように見る。」関西の人は正直なんスね。いまインターネットやってる全国の若い衆も正直で真剣だ。
○欧州であれば個室が与えられるところ、日本の職場は大部屋で、家にも書斎などなく、いれば家事も多い。一人になる機会は少ない。大阪であれ、箱根であれ、横浜であれ、遠出をする時の乗り物の中は貴重な瞬間だ。読んだり、書いたり、思ったりする。しかし、電車やクルマの中で決してモバイル・コンピューティングはしない。いや、できない生理なのだ私は。
 それは、PCのバッテリーがカウントダウンだからだ。スイッチを入れたとたんに寿命がゼロに近づいていく恐怖に耐えられないのだ。携帯の電話代がどんどん加算されていくのは、数字が増えていくのは、へっちゃらなのだが、なくなっていくのが怖い、その貧乏性は、たとえ耐久時間がうんと長くなっても解決できない。ボーナスが出たからディスカウントショップで買ったヒゲそりでも連続100時間使用可で、そんなに長時間ヒゲはそらないし、メディアを相手にしているときほど真剣でもないが、それでもいつかは充電が切れるのが怖くて怖くて、ましてや大阪に行くまでに切れるかもしれないようなメディアが使えるか! 新幹線の座席には電源はつかないのか? 電気も電波で飛ばせられないのか? PCは太陽電池で動かないのか? 私にモバイル・コンピューティングを勧める諸君、先にこっちを解決してね。
○銀座にて、河瀬直美監督、掛須秀一編集「萌の朱雀」。魂の映画。光、雨、葉、顔、とぎすまされた言葉、音、その深く、強く、静かな世界に、いつまでも入り続けていたい。こらえきれず、涙がこぼれ、あふれ、わんわん声をあげてしまった。他のお客様方、興奮してごめんなさい。私、しあわせで、しあわせで。私の能力では、この衝撃を文字に転換することはできません。これでしばらくは気持ちの密度が濃くなって、穏やかにすごせる。感謝。
 ただ、自分の問題としては、この日本の土着を両手ですくい上げたような映像が、日本で存分な評価を受けないまま、カンヌで絶賛を浴びた、その構図を恥じる。
 感謝とお詫びを支払おうと思っても、入場料は一律で、この映画は安すぎる。コンテントへの感動に応じて課金されるシステムではないからだ。仕方ないので、売店にあったいろんなものをあれこれ買う。私、ピントずれてますでしょうか。
○伊丹十三監督と世界のミフネが逝く。悲しいことだが、いなくなるスピードより、産まれてくるスピードの方が早いはずだと信じ、コブシを握りしめる。
○だいだい色した三日月の夜、あるテレビ局で、ニュース・オン・デマンドと、映像ライブラリーと、インターネット連動型データ放送のシステムを拝見。そうだよね。日本は、テレビを軸とするトータルなメディアシステムの道を行くしかない。
 放送のデジタル化というのは、エンタテイメントやニュースといった旧来のコンテントの流通チャンネルが増えることではない。コンピュータと融和する太いデジタル回線がドーンと出てくるということだ。それを誰がどう使うか。日本のテレビは、これを味方に引き寄せるか、白眼視するか、その気持ち一つで行方は決まる。
○勉強会で、テレビ通販の第一人者の話を聞き、考える。企業は、メディアをCMの手段ととらえてきた。企業と視聴者の間にはかなり距離があった。でもデジタル放送やインターネットで、企業と回線は肉体関係になる。教育や医療、金融といった実社会の活動がメディア化され、コンテント産業となっていく。テレビ通販がインタラクティブに進化していくこととなる。デカくなることが見えている数少ない産業だ。
○デジタルコンテントのクリエイターの面々と飲む。ここ連日、3時ごろまで飲んでいるが、今日も飲む。日本の進路はデジタル映像立国しかない。この分野に、最高の知性と才能と報酬と名誉が流れていかなければいけない。貧乏くさい話、やめ。飲んで、景気のええ話、しましょう。ボクには、手を叩いてほめることと、背中を叩いて勇気づけることしか、できないけれど。
○ポケモン「でんのうせんしポリゴン」を見ていた多くの子どもたちが病院に運ばれた。重大な事件である。問題は国会でも取り上げられ、さっそく郵政省や厚生省で研究会が始まった。今回の原因、テレビ映像が脳に与える影響、直接の対処方法などに関しては、徹底した検討が行われるだろう。議論は専門家に委ねるが、個人の感想はある。私が職場でギャースカ申し上げたこと三点を、自分で忘れないために書いておく。
○第一。ポケモンは重要である。メディアだけが世代の共通体験となって久しいが、低学年の男の子と女の子が共有できるキャラクターは実に少ない。親子で楽しめるキャラクターという点でみてもそうだ。ポケモンでかろうじて成立しているコミュニティがたくさんあるのだ。ポケモンの放送は休止された。影響は大きい。がんばれポケモン。
○第二。映像は恐ろしい。人が倒れることがある。デジタル放送の進展で、より多様な映像が世界中から届けられる。そしてインターネットが映像メディア化していく。映像を世界中の個人が作り、地球のすみずみに発信する。状況は飛躍的に制御不能となっていく。突然、ドラッグ映像や殺人ビジュアルがあなたの網膜に飛び込んでくるかもしれない。
 映像社会とは、楽しい世界であり、恐ろしい世界だ。今回の事件は、その当然の事実を認識するきっかけでもある。しかし、これを教訓として、表現者の側が、表現の可能性を狭める方向にシュリンクするのは不幸であり、しかも抑圧したって効果は期待薄だ。それよりも重要なのは、子どもたちが21世紀の映像空間にどう立ち向かい、どう生き抜いていくかだ。自己防衛策をどう身につけていくかだ。
 私は酒を飲む。酒はうまいので、中毒になったり倒れたりすることがある。楽しくて恐ろしい。だから自分で身を守る。薄い酒ばかりになっては困る。
○第三。日本の子どもは世界の最先端にいる。映像の処理能力、ビジュアルへのハマり方、作品の評価力、いずれも大したものである。今回の事故は、日本だから起こったことかもしれない。各国の事例を参考にして解ける問題ではない。アニメ・ゲーム大国の日本社会がこの問題にどう立ち向かい、どう解決していくのか、日本は世界に教えてやる立場にある。
○そして年の瀬、恵比寿にて、坂本龍一さんと岩井俊雄さんのライブ「MPI×IPM   」。私は、作曲家としてはもちろん、ピアニストとしての坂本さんが好きだ。ステキな調べに97年の澱みをそそいでもらおうと、酔いに行った。
 だがそれは無防備に過ぎた。ピアノの音をコンピュータの光に転換し、光を音に転換する。その対等な緊張関係。しかも、きりりと抑制された上品な表現。過激だなあ。実験のはずなのに、甘えがなく、神聖な空気が澄みわたる。インターネットを介したビジュアル演奏や、映像と音楽をシンクロさせたゲームなど、にこやかな遊技も行われたが、それもまた表現を開拓する厳しい大人の姿勢。きれい。
 坂本さんにあいさつしようと訪れた楽屋には、村井先生、伊藤さん、古川さんら、知人の顔。あれま、皆さん、メリークリスマス。
TOP▲


<<HOME