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わからん、それが問題だ  96.11-98.10 マックパワー(連載終了)
第十四話
私がコミュニティーから消えつつあるということが気になるのだ   97年12月号
○時間のある日曜日。東京湾を行くクルーズから、茶色い海が灰色の低い空と交わるところ、その境目をしばらく見つめる。埋め立て地にある東京テレポートセンターをクルマで横切り、計画当時の苦労を思い出す。船の科学館に上り、東京タワー方面を展望する。東京も色んな顔を持っている。
 下階の3Dハイビジョンシアターでは、立体映像のリアリティーにはまった少年少女が画面の熱帯魚に手を伸ばしてつかもうとしていて、みっともないからと親が静止している。
 がんばれ東京の少年少女。規制や義務はいつどこにでもある。抑圧されたエネルギーの噴出口がどこかが問題だ。スポーツか、タンク山か、ジャンクカルチャーか。おじさんは、解放の場所として、ネットワークを作っておいてあげたい。
○テレビでダウンタウンが漫才をやっている。立派だ。何かの雑誌にも書いてあったが、芸人が芸を見せる番組が少ない。漫才師がニュースを解説し、俳優がクイズに回答し、歌手がコントを見せているご時世に、ダウンタウンは立派だ。本業で他を圧し続けている。最近、若いお笑いさんが人気を博しているが、今のところ、お笑いに対する業の深さでダウンタウンに接近している人材はいない。こだわり、が違う。
 オールナイト・ニッポンのビートたけし、上京した頃の島田洋七、亡くなる少し前の笑福亭松鶴、西川のりお・上方よしおが83年頃ナンバの小劇場でみせたライブ、短い期間、ピカピカに光っていた。だが、笑いには旬がある上、常に新しくないといけない。お笑い表現で輝き続けるのは奇跡だ。
 ダウンタウンはどこまで行くか。我が尊敬するチャンバラトリオの域に達するか。楽しみ。
○なけなしのランチタイムを割いて評判のCD2枚を求めに行った。これがとんでもない駄作。時間があった学生の頃には、あれこれ聴きまくり、10枚に1枚当たりがあれば御の字だった。はずした分のカネは痛かったが。今は時間がないから、これなら大丈夫だろうというものしか試さない。それなのに1本でも駄作に会うと、大変な時間の損失だ。腹も減って腹だたしい。
 つまらないモノは無数にある、というより、大半のモノはつまらないので、つまらないものをけなしているヒマはない。素晴らしいモノをほめ続けていたい。それでさえ無数にあって、完了しないんだから。
○ばてる。薬局でドリンク剤1本。ヨーロッパにはこんなものなかったなあ。こんなの飲んでまで仕事するというのは反則なんだろう。がんばって働くというのは、ワインと、下らないおしゃべりと、家族とのバカンスと、恋のアバンチュールを前提に、したいものだ。ぢっと手を見る。
○夕刻、メディアの発展を左右している数名の方々との会合に出席。CG作品や実験サイトを肴に、リアルとリアリティー、インターネットの制作ツール性と表現ツール性、電子商取引と広告などをめぐり議論。楽しいひととき。
○職場で冷やしておいた唐辛子入りウォッカを空ける。疲労と刺激で脳のしわが溶ける。夜中の4時だというのに、六本木は工事で渋滞だ。タクシーの外は、バックライトがにじんでいる。そのなまめかしい赤色は、誰が決めたのか。どこかの国の運輸省か? 警察庁か? これが青だったら、世界中の夜はずいぶん無機的なイメージだったろう。
○ビデオショップを訪れる。ペンギンの「ピングー」を借りる。ピングーの父親は郵便配達員で、ピングー君はお手伝い。偉いぞピングー。大切なメッセージをしっかり運べ。同時に、タビアーニの未見ビデオを借りる。こんな歳になってまだ何も見ていないと思い、猛烈に焦る。
○とつぜん赤い蝶ネクタイが必要だと思った。家族でクルマに乗り、有楽町のエルメスは休みだから三越に行くが、ない。あきらめ、屋上のミニ四駆オープンコースを見て、チャーシューメン食って、シャガールとコートダジュール展を開催中のそごうに向かう。思いがけずデュフィのリトグラフに遭遇し、立ち止まる。ポケモンのピカチュウ人形をようやくみつけたので子供に買い与える。
 朝イチから使用する戦略ペーパーに致命的な論理欠陥を発見、ところがノートPCのトラックボールを動かしてもカーソルが動かなくなり、自宅での処理不能、役所へ出向く。いつもの日曜と同様、おおぜい出勤しており哀しい。
○秋葉原のクイックガレージに愛を込めてノートPCを持ち込む。部品を2個交換。18000円。直ったか、よしよし。これで2度目だけど、いつも苦労かけてるからこの程度はな。健康保険が効かないのが痛いところだが、ここに来ている客はみな子供を医者に抱えてきた母親のように不安げで、お宅もですか、お互い手がかかって大変ですねえ、という連帯感がある。
○バンド仲間だった農水省の前川氏がOECDに派遣されることになった。その機をとらえて所帯を持ったという。何とか職場を抜け出し虎ノ門の小料理屋で会ったら、奥様はカレー出身のトレビアンな方だった。こらオッサンお前フランス人とパリで暮らすっちゅうんか。めでたいのう。パリは京都か大阪か神戸かを巡り3人で激論して酩酊して別れ、職場に戻り徹夜。
○こんどはノートPCのキーボードが文字を打ち込まなくなった。キレる。冗談じゃねえしっかりしろオレに苦労かけるな。応急処置はできないものか、身近で知る限りの専門家に聞くがダメ。クイックガレージ。センセ、こいつ寿命なら寿命だとハッキリ言って下さい覚悟はできてます。いやお客さんまだ元気なもんですよ。17000円。
 我がPCの修理を待ちながら思い出したこと1。ホームページを持っている小錦関が、相撲部屋でノートPCを操作しているニュースのシーン。日本人とコンピューターとの関係は、静寂の中、畳に座布団を敷き、正座で背筋を伸ばし、キーボードをうぃやぁと叩くのがよい。冬はこたつとみかんと猫が必要だ。でも小錦関ときたら、ノートと指と体のバランスがヘンで、誰か座布団ぐらいの大きさのノートを作ってあげなければならない。
 思い出したこと2。富山県の山田村では、400軒の全家庭にマックとISDNが配備されているという話。村民みんながテレビ電話を使い、ホームページも持てるらしい。LANやWANを作って通信料をタダにしていくという。過疎の生活保障だという。衝撃の実態は、ミクロなローカルから発生する。
○オフホワイト地に赤とピンクの上品なタッターソールのネクタイを通りすがりのショーウィンドウで発見。ほしい。
 10年ほど前には、ほしくてもカネがなかったし、ほしいモノが多すぎたので、このほしいほしい感が一週間つづけば買おうと決めて我慢して通り過ぎ、でも3時間ほどたって、ほしいほしい感が爆発しそうに高まって切なくなって、戻って買う、ということを繰り返していた。
 公務員だから今でもカネはないが、あの頃のようなほしいほしい感に包まれることがなくなり、それは見る目が厳しくなったわけではなく、執着心が枯れて淡泊になっただけであって、退化なのだが、そのぶん平穏で、痛み分けだ。
 インターネットで何でも買えるようになった。こっちが淡泊でなければ、ほしいほしい感のパニックになる。あれこれサーチして、念願だったモノを手に入れたというネット達人の話もよく聞く。私にもサーチして入手したい特殊な物品はあるんだが、たぶん一線を越えて慢性サーチ症に陥るので、こらえる。
 そんなことよりこのリアルなネクタイをどうするかだ。女房に聞いてみよう。モノやサービスを評価する冷酷さと、決断の大胆さは、購買のプロに任せるに限る。
○読もうと決めて買った本や著者から送られてきた本が段ボール一杯に貯まってしまった。小説、詩集、ビジネス書、メディア評論、マンガ。どれも不可欠な情報だ。私は段ボール一杯分の栄養が不足しているということだ。さあどうする、と栄養が私に迫る。食べれば頭に情報が入るなら、どんなにまずくても食べてやる。ということを子供の頃から思い続けている。
○「あなたのブックマークを見せて下さい」という取材が来るというので、改めて自分のブックマークのサイトを順に訪ねてみた。すると閉鎖されているホームページがいくつもある。企業や団体のサイトではない。知人のサイトだ。困ったことだ。消えた知人のことが気になるのではない。ご無沙汰しているうちに、私が知人から見捨てられたのであり、私がコミュニティから消えつつあるということが気になるのだ。インターネットが通告する私の希薄化。
○自分の希薄化に反比例してインターネットは増殖する。97年はインターネットの大衆化の年として歴史に刻まれる。インターネットテレビ、インターネット電話、インターネット放送。インターネットが茶の間に侵入しはじめた。
 サイバービジネスも、模索段階から実業段階に来た。世界市場は1.2兆ドルになるとの予測もある。電子マネーも実態になりはじめた。日本型電子マネーの実験も開始。7月にはクリントン政権も電子商取引に関する政府行動原則を発表し、8月からはドイツでマルチメディア法が施行。政府からのメッセージも理念から実態レベルへと移行している。インターネット上の商売は、こんなはずじゃなかったという声を聞くが、それは実態が出てきたからこそ言えるセリフだ。
 アメリカの国家戦略が産んだインターネットは、アメリカの思惑をなおも強く帯びている。ただ、今は、ネットワークへの警戒を張るよりも、その恩恵を素直に享受し、実態を定着させるべき時期なのかもしれない。
○「ロストワールド」を観に行く。息子のたまごっちの音源をOFFにして、私の携帯電話をバイブレーター機能にして、着席。上映中、たまごっち(おやじっち)は一回ウンチしただけだが、我が携帯は5回もブイブイ震え、そのつど廊下に出て仕事のやりとり。結局、出勤せざるを得なくなる。かなんわあ行革のすかんたこ(京女風)。
○西麻布の祭りで山車を引き、町内をねり歩く。参加者は子供ばかりだ。事後、菓子類を頂戴する。大人の男は私だけだったためか、袋の中の菓子は、周りの人より多かった。
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